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    手を放さないで傍にいて

    • 2008.06.16 Monday
    • 01:00
      おいしそうなオレンジ色に熟れた太陽が、西へと落ちていく。
     優駿は自転車通学だ。
     行きは自転車で勢いよく坂道をくだっていくが、帰り道は自転車を押しながらぶらぶら帰る。
     その途中で優駿は珍しく姉・皐月に出くわした。
    「優駿? あんた、今、帰り?」
    「あれー? 姉ちゃん、この時間に帰るの珍しくない?」
     美大生の姉は基本的に帰宅が遅い。
    「6限が急に休講になってね。5限目は元々休講だったから、7限は自主休講にした」
    「いいね、大学生は」
    「あんたもあと一年すれば大学生でしょ。うまくすればね」
     なんとなく、てくてくとそのまま連れだって歩いた。

     一分後、皐月の持っていた荷物はひとつ残らず優駿が背負っていた。

    「……ねーちゃん。『弟』は奴隷と同義語じゃないんだけど」
     自転車を押しながら優駿は重い足取りで坂道をのぼる。
     対し皐月はいつもより軽やかな足取りでその前を歩く。
    「ほほう? 帰り道に買い物をしたいと。米と牛乳とミネラルウォーター、買っていいのかなあ?」
    「……お慈悲をありがとうゴザイマス、オネーサマ」
    「分かればよろしい」
     下手すると本当にスーパーに寄って重いものばかりを持たされかねない。まして食べ盛りがそろった6人家族の相馬家、買う量が半端ではないのである。ぞっとしながら優駿は肩に食い込む鞄の重さに耐えた。
    「なんで姉ちゃんの荷物、こんなに重いんだよ!?」
    「画材は重いものよー」
     皐月は高らかに笑った。

     周囲はだんだんオレンジから青へと変化していく。
     優駿の視界の真ん前には、前を歩く皐月の長い黒髪があった。皐月の髪は背を覆うまでに長いストレートだ。
     いつぞやの黄昏の中も、こうやって、歩くたびにゆれる皐月の髪を目で追っていた……。
    (あー……なんか、むかーしに見た光景だ、これ)
     デジャヴ。いや、違う。「それ」はたしかに実際にあった出来事で。
     優駿の記憶の中では、いつも皐月は優駿の前を歩いていた。優駿の手をひきながら。 
     肩口でゆれるおかっぱ頭。
     にらみつけるように、まっすぐ前に向けられた目。
     引き結ばれた口元。
     そんな彼女に手を引かれ、幼い優駿は赤いランドセルごしに姉の顔を見上げていた。当時の彼女は、歩くスピードを幼い弟に合わせてはくれなかった。手を引っぱられながら、コンパスの短い足で一生懸命についていくのがやっとで。
    「……なー、姉ちゃん」
    「んー?」
    「ランドセル背負った姉ちゃんが、ちっちゃい僕の手を引いてずんずん歩いてたこと思い出した」
     ぽつりといった。
     皐月の足が止まる。
    「あんた、意外と小さい頃のこと覚えてるのね」
     優駿は、そうみたいだね、と他人事のように答えた。皐月は振り返らない。
    「あのころの姉ちゃんは、いつも険しい顔してたように思うけど……怒ってた?」
     記憶の中の姉はランドセルを背負っていて、記憶の中の優駿は背負っていなかった。そうすると、この記憶は姉が大きくて小学4年生、一番幼くて小学1年生くらいまでの話だろう。優駿自身は3歳から6歳までの間ということになる。遊びたい盛りの小学生が、年の離れた弟の面倒を見るのはさぞ苦痛だったことだろう。

     そこでやっと姉は振り返る。
    「覚えてるのねぇ」
     気のせいか、感慨深げな声だった。

    「……姉ちゃん?」

     が、それも一瞬のこと。姉は再度、高らかに笑った。
    「そーよッ。あんたが、ちーちゃいときからお姉様が面倒みてたんですからねッ。ちったあ姉を敬えってのよ!」
    「結局そこに行き着くのかーッ!」
     生涯、姉には頭があがらない。

       *

     覚えていないといい、と皐月は思う。

     保育園に預けられていた優駿を迎えに行くのは、小学校が終わったあとの皐月の仕事だった。ぐずる弟の手を引いて、皐月は帰りの坂道をのぼった。
     母の育児ノイローゼが一番ひどかった時期だ。

     母は子供嫌いだったというわけではない。むしろその逆で、両親とも子供は好きだった。そうでなければ5人もの子の親にはなれまい。

     子供は年子の女の子が二人。そのあたりまでは母も普通だった。次に年の離れた男の子が産まれた。このあたりでも「子育ては大変」とばかりに目の回るような忙しさだったが、ギリギリまともな感覚でいた。
     その翌年にまた子供ができたあたりから、母は少しずつ普通ではなくなっていった。
     父はいい夫だったはずだった。少なくとも子供達とは積極的に遊んでくれたし、夜中まで仕事で帰ってこないだとか家事を手伝わないとかいうことはなかった。
     それでも、人間、壊れるときは壊れるのだ。
     子供が泣く、と、この世の終わりのように父にすがって泣いていた母。
     夫婦喧嘩もひどくなった。いや、正確には母が一方的に父をなじっているのだ。八つ当たりといってもいい。そのほか、とても優駿や菊花には聞かせられないような母の台詞も皐月の記憶の片隅に残っている。
     家の中は荒れ果てた。掃除機をかけることと洗濯機を回すことはいつのまにか長女・桜花の担当になっていった。桜花が少しずつ家事を手伝い始めるようになったのはこの頃だ。
     赤ちゃんだった三女・菊花は祖父母のところへ預けられた。
     よちよち歩きの長男・優駿は運良く保育園に当選し、朝、送っていくのは父の仕事で迎えに行くのは皐月の仕事になった。
     空はいつも茜色に染まっていた。

     そして、子供達の知らないところで、両親の離婚話が持ち上がった。
     なぜ、当時の不安定だった母の手元に子供が全員残されたのか皐月は知らない。桜花も知らないといっていた。
     ただ離婚の話し合いは性急なものではなく数年がかりだったのがよかったのか、母はゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
     その間に末っ子・秋華が生まれたが、そのときにはもう母の情緒不安定はやんでいた。
     両親は正式に離婚。そのあと母は「母親業」を一切放棄してバリバリ働き始めた。結果的に離婚は正解だったかもしれない。

     だが、こんな話を、弟や妹に話す気にはなれなかった。
     知らなくてもいいことだ。
     だから、覚えていないといいと思う。

       *

     知らないふりをしていればいいか、と優駿は思う。

     優駿に当時の記憶はない。記憶はないが、5人の子供を抱えて母親の育児ノイローゼがひどかった「らしい」と、親戚から漏れ聞くことはあった。
     当時小学生だった姉たちの記憶には残っていることだろう。どうやら先ほど思い出した夕暮れの記憶は、その当時のことのようだ。悪いことを聞いてしまった。
     いいたくないのなら、こちらも知らないふりをしていればいい。
     親戚がこそこそと話していた。
    『自分の子供ばかりならまだしも、他人の子供まで引き取って育てたりするから……』
     ……聞かなかったふりをすればいい。
     何も聞かない。何も知らない。だって家族は誰も何もいわないから、どうかずっとこのままで。

    「ねーちゃん」
    「何よ」
     皐月がけげんな顔で優駿を見る。
     優駿は上目づかいに皐月を見る。
    「……え、と……ガキの頃にメーワクかけてごめんなさい」
     他に何もいえなかったので、とりあえず謝ってみた。
     皐月は瞬きをする。そうしてゆっくりと、緊張の糸がほどけたように笑った。

    「やぁね、そんなにお姉様孝行したいって? じゃ、自転車に乗せてもらおうかしらん」
    「マジですかーーーッ!」

     かくして優駿は二人分の荷物+皐月を乗せた自転車を押して帰宅する羽目になった。

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