菊花は電車通学である。
駅改札を通ってすぐのところにある電光掲示板には、次発が何時に出るかが表示されている。
菊花は自分の腕時計を見た。あと10分もある。
駅構内に同じ学校の制服を着ている人間は、まばらだった。
今日は部活動があったので遅くなった。真っ暗になるまで活動している運動部と違い、文化系の部は終了時間がまちまちなので、駅に同じ学校の人間が密集しているという帰宅風景にはなりにくい。
それに、あまり認めたくないがマイナーな部が多いので、部活動が終了しても駅に一斉に制服があふれるという事態にはならないのだ。
構内に設置されている椅子はすべてふさがっており、菊花はいつもの昇降場所付近に立って電車を待った。「いつもの」改札、「いつもの」降り口、毎日行うことだから菊花は行動をパターン化している。帰宅の時は先頭車両の一番前の入り口から乗り、降りたら右から二つ目の改札を出る。
電車の場所は降りる出口に一番近いところに陣取るため。改札の場所はただなんとなく。
構内アナウンスが、反対車線に電車が来たことを告げた。
菊花は時計を見る。この時間帯であれば、向かいの線路の電車が来てからしばらくして、菊花の乗る電車が来るはずだ。菊花は確認するように電光掲示板に目をやった。菊花の立つ位置からも電光掲示板がよく見えた。
そうやって視線をあげると、いつもの駅の風景に、いるはずのない人の姿が目に入った。
向こうの相手も菊花に数秒遅れて、気が付いた。
目と目が合う。
どうしてここにいるのだろう。双方の目がそう語っていた。
そうしてお互いに、そっと視線をはずす。何事もなかったように。
中学時代、仲の悪かった相手だった。
彼女がどこの高校に進んだのか菊花は知らない。彼女も知らなかったはずだ。
だけど制服を見れば一目瞭然で、彼女の学校は菊花の学校の最寄り駅よりも二つ向こうの駅が最寄りである。この駅で乗り降りすることはないはずだ。
彼女は菊花と少し距離を置いた場所に立った。中学が同じということは降りる駅も同じということで、彼女もまた出口の近くの車輌に乗るタイプのようだ。
お互い、無言だった。
電光掲示板が示した次の電車まで、あと5分。
聞きたいことは色々あった。なぜこの駅で出会うのか。もしかしたら、先ほど着いた別の電車に乗っていたのか。同じ出会うにしても、向こうのほうが遠い駅を使っているのだから電車の中で出会うほうが自然だったのではないか。高校一年生のときからこの駅を利用しているがそれまで一度も彼女に出会ったことはなかったのに、なぜ今頃。
時計を見ると、電車が来るまであと3分もある。この沈黙が電車の中でもずっと続くのかと思うとさすがに気詰まりだった。
二人の間にある空気が、お互い相手を気にしていることを伝える。だが、どちらからも相手に話しかけることはなかった。気詰まりな沈黙が続く。
菊花が何度目かの時計を見たときだった。
「○番線に電車が参ります」
構内アナウンスが静寂を破った、ような気がした。
電車がゆっくりと減速しながらホームに入ってき、「いつもの」ように菊花の目の前で扉が開く。
菊花はそれに乗った。彼女も、その電車に乗るものだと疑いもしなかった。それが誤りであったことに気づいたのは、彼女からの視線をホームから感じたときだった。
菊花が振り返る。彼女は電車に乗ることなく、そこに立っていた。なぜ、と問いかけるような菊花の視線を彼女は真正面から受け止める。
「引っ越したのよ」
ただ、そう一言。
扉が閉まる。電車がゆるやかに動き始める。一度動き始めた電車はスピードをあげて駅から出ていき、菊花は窓からずっとホームの彼女を見ていた。駅が、遠ざかる。電光掲示板が一度真っ暗になり次に発車する電車の時刻を新たに示した。
もう二度とあの駅で彼女に会うことはないように思えた。
*
「……電光掲示板と聞くと、なんとなくそのことを思い出すのよ」
と菊花は頬杖をつきながら姉妹達に向けて苦笑してみせた。
一番上の姉が瞳をうるませる。
「いいお話だわ〜。私なんて電光掲示板なんていわれても店先でぴかぴか光ってる宣伝しか思い浮かばないのに〜」
その後ろで二番目の姉と妹がいった。
「電光掲示板というと競馬の着順を表示するやつを一番に連想したなー」
「それいうと桜花ちゃんに怒られるよ。ギャンブル嫌いなんだから」
そうして妹は側で丸くなってすやすや眠っている飼い猫の頭をなでながら、ぐさりと一言。
「てかさぁ? その菊花ちゃんのトモダチ? ライバル? その人、たんに引っ越ししたばっかで間違えた電車に乗っちゃったんじゃないのー?」
上の姉と下の姉がすぐにそれに乗った。
「ああ! ありうるかも! 実は上り電車側なのに間違えて昔の家があった下り電車に乗っちゃったとか?」
「そういや菊花の学校の最寄り駅って、すぐに反対側の電車がくるのよねー。間違えたことに気づいて降りて、そんでその反対側の電車に乗ろうとしたところを菊花に見つかって乗るに乗れなかったんじゃない? ライバルに情けない姿見られるより、謎な女を演出したほうがマシだと思ったとか」
「きっとそうよ〜。そうに違いないわ〜」
姉と姉と妹たちの会話を聞きながら菊花は遠い目を虚空に向けていた。
謎は謎のまま、あんまり気づきたくなかったかもしれない。