「今日はいいお天気ねぇ」
桜花はそういって窓を開けた。今日は風が強い。
すっかり気候は春である。通勤路の途中に桜の木がないから分からないが、天気予報の桜前線によるとすでに開花していることだろう。
「あんまり天気がいいからお花見でも行かない? 桜がきっと綺麗よ?」
と振り向く桜花に、弟妹たちは気のない返事をよこしてきた。
彼らはリビングのテーブルを囲んでめいめい好きなことをしている。
「花見だってさ」
と、ソファに寝そべって漫画雑誌を片手にくつろぐ弟がいう。
「まだ寒いじゃない。遠慮するわ」
と、イーゼルに立てかけたキャンバスに向かう次女が答えた。
「あら、そういえば今日は桜花賞ね」
と、三女が新聞をみながら発言したと思えば
「桜花ちゃんの名前の由来じゃん。そういや桜花ちゃん、そろそろ誕生日よね? それとももう過ぎてたっけ?」
と、惰性でテレビをみていただけの四女が楽しそうに合いの手を入れた。
桜花はとたんに渋面を作った。
二十歳を過ぎた娘にとって、あんまり誕生日は嬉しい日ではない。
それどころか年を追う事に嬉しくない日に早変わりである。
「いやなことを思い出させてくれるわね……」
すると、恐れ知らずの弟が口を開いた。
「なんで? めでたいじゃん、誕生日」
次女と三女がちょっと表情を変えるが止めに入ることはしなかった。ついでにいうと、一番年下の四女は、まだ年若いだけあって弟の意見に同調する。彼らにはまだ年齢を積み重ねる意味がわかっていないのだ。
「……お花見はやめにします」
桜花は表情を固まらせたまま、告げた。
ふうん、と家族達は気のない返事。
「代わりに、今日は全員で大掃除!」
告知した瞬間、全員が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「馬鹿兄貴が余計なこというから!」
「好きで地雷踏んだ訳じゃない!」
「皐月姉さん、私、図書館に行ってくるわね」
「ん、行っといで。私はちょっと画材抱えて友達んところへ……」
まさに好き勝手言い放題である。
次女は「画材を抱えて」といっていたが、描きかけのキャンバスはリビングへ放置されたままだ。
「まったく、人の気も知らないで」
テレビの電源を落とし、床に落ちたコンテを拾った。
薄いベージュ色のアクリルガッシュで下塗りされたキャンバスには、赤茶のコンテで人物らしきものが描かれている。いずれ油絵の具で仕上げるのだろう。丸と線だけで表現された人物は、めいめい好き勝手なポーズをとってリビングでくつろいでいた。
「ひとり、ふたり、みたり、よったり……あら。皐月以外はみんないるのね」
それが自分たちをデッサンしたものだと、分からない桜花ではない。
父も母も書き込んでいないのに四人もいるのは大家族ならではの光景だなと妙なところで感心する。
「アクリルガッシュなんて久しく使ってないわ」
油絵調の絵を描くときに一度使ったくらいだ。
はっきりした色が好きな次女・皐月と違って、桜花はパステルトーンやグレイッシュトーンが好きだった。
下塗りの色は何だろうと顔を近づける。
パステルサンドを基調に、パステルピーチとパステルエナメルを混ぜたような色だ。パステルピンクなどはよく聞く色名だが、パステルエナメルあたりになってくると単に絵の具を分類するための特殊な色名としか思えない。まず普通には聞かない色名だ。
優しい色である。なんだかこちらの気分まで優しくなるような気がする。
薄いベージュ色を見ながら、やっぱり家族に八つ当たりをして、何かを強制的にやらせるのはよくないわよねと桜花は思いなおした。
こうして気まぐれな桜花の日曜日は今日も平穏に過ぎる。
*
その夜、きょうだい全員が帰宅した。
リビングのイーゼルを前に、皐月が首をひねる。
「やっぱり下塗りがこの色だと明るすぎるかなぁ。中間色くらいがいいのよね」
アクリルガッシュで、優しいベージュ色の画面を今度は、灰みかかったモスグリーンで塗りつぶした。
「あーーーーー!?」
「な、なに!?」
近くで大声を出されて、皐月の刷毛が止まる。大部分を塗るにはちまちました筆より大きめの刷毛のほうがいいからだ。
大声を出したのはもちろん桜花。
「気に入ってたのに、そのパステルエナメルっぽい色!」
「そりゃ残念ね。だいたい、あとで普通に色を重ねていくんだから一緒じゃない」
絵として仕上げてしまうと、たしかに下塗りの色は完全に隠れてしまう。
さらに皐月がつぶやく。今度は静物にしよう、と。どうやらモチーフも完全に変えてしまうつもりらしい。
それが妙に桜花の神経を逆撫でした。
「やっぱり、来週の日曜日は全員で大掃除!!」
「ちょっ、冗談でしょ! 来週は大学の悪友たちと皐月賞見に行くんだから!」
こうして気まぐれな桜花の日曜日は今日も平穏に過ぎる。