桜花の仕事は、洋服を縫うことである。
好きこそ物の上手なれ。特に直線縫いだけでできるスカートを縫うのが好きで、自分の分や妹たちの分をよく縫っていた。
そして今、桜花は部屋に閉じこもってスカートを作っている。
規則的に続くミシンの音がそれを物語っている。
皐月はその音を聞きながらため息をついた。
おそらく、えんえんミシンをかけるだけの作業は一種のストレス発散手段なのだ。
*
祖母の家に家出中の末の妹・秋華から電話があった。
大声で放たれた一言は、家庭崩壊しそうな破壊力のあるネタだった。
『桜花ちゃん!! うちの誰かがホントに、うちの子じゃないってホント!!?』
ドップラー効果が通り過ぎたあと、電話を取った桜花が秋華に負けないくらいの大声で怒鳴った。
「そんなわけ、あるかーーー!! この馬鹿!! もう帰ってこなくてよろしい!!」
ガチャン!
……売り言葉に買い言葉じゃないの、と皐月が思ったときにはもう受話器がおろされていた。
あとで、秋華にくっついていった菊花から、弟のところに電話があったと聞いた。
どうも祖母の家に来ていた叔母が余計なことを妹たちの耳に入れたらしい。
きょうだいのうち誰かが養子だとか、今までそういう話はこの家では出たことがない。秋華にとっては寝耳に水だったそうだ。ただ、それを聞いた優駿と菊花の反応を見る限り、どうもこの二人は噂程度は聞いているようである。
噂などという不確かなものに振り回されるほど、厄介なものはない。
*
桜花の好きな甘いミルクティーとチョコチップクッキーを携えて、皐月は彼女の部屋のドアをノックした。桜花は甘党なのだ。
「お茶いれたんだけど、どう?」
ミシンの音がやんだ。
そっとドアが開いたので、中にいれてもらう。
桜花の目元が険しい。
「ストレスにはとにかく甘い物がいいでしょ?」
「……ありがと」
「ただし私はそこまで甘い紅茶にはつきあえないので、コーヒーでごめんね」
紅茶とコーヒーとお菓子がのったお盆をそのへんに置く。
ふとミシン台を見るとロングスカートがかかっていた。余り布で作った物だろうか。この縦を一気にミシンをかけるのはさぞ勢いがいるものと推察する。
桜花は無言でお茶に向かった。
さてどう話を切り出したものか。困りながら皐月もコーヒーを口にした。
ぽつりと、桜花がつぶやいた。
「甘さが足りない……」
「砂糖、まだ入れるの!? それでもスティックシュガーまるまる一本入ってるのに!」
「お客様用の細いやつ? あれだと足りない。あれって一本3グラムしかないのよ。あれ使うんだったら二本欲しい。お客様用を使うのもったいないから、いつもは料理用の砂糖壷から小さじ山盛り一杯いれちゃう」
「どれだけ甘くすれば気が済むのよ……」
皐月が砂糖を入れるときはスティックシュガー半分がデフォルトである。甘い物が大好きで、それなのに、思い出したように「ダイエットしなきゃ!」といっているのだから本末転倒ではないかと思う。しかしそれを今、このタイミングでいいだす気はないのだが。
母は本日、出張中。ある意味、よかった。
「ねーさん」
「……何よ」
じろり、と睨まれた。やっぱり怒っている。
「怒り心頭でスカート縫ってるより、秋華を迎えにいってやったらいいんじゃないかなーと、姉の一人としては思うわけですが」
「行かないわよ。しゅうちゃんが悪い」
苦笑するしかない。
だから、皐月も言いたくない台詞を言わなくてはならない。
「でも事実でしょ?」
しょうがないじゃない、というニュアンスを自分では醸しだしたつもりなのだが、姉の怒りに油を注いだだけだった。
「違いますー! みんな、うちの子なの!!」
「だからそれは分かってるけどもさ……」
「うちの子だってば!」
聞く耳は持ってもらえないようである。
こういうところ、実は桜花と母はよく似ている。
だから離婚が成立したあとの相馬家の方針として、一人だけ違うのだということは伏せられた。彼女たちの言い分は「みんなうちの子、みんな平等。そのつもりで全員を扱うので、わざわざ一人だけ実の子ではないということを教える必要はない。それは不平等を招く」ということらしい。
そして、皐月と、離婚した父がそれとは違う考え方だった。
事実なんだから始めからその情報を明らかにして、その上で家族である「努力」を重ねればよいのではないだろうか、というのが皐月の言い分なのだが。
今更それをいっても仕方ない。
下のきょうだいたちは「それが誰か」を知らずに育ったのだから。
この家で、知っているのは母と桜花と皐月だけである。
桜花との話は結局平行線で交わることのないままだった。皐月の分のクッキーまできれいに平らげて桜花はまた自室に閉じこもった。ミシンの音が復活する。一体何着分のスカートを縫えば、内側から天の岩戸は開くのやら。
*
からっぽになった食器を持って、皐月は台所に入った。
するとそこで、弟・優駿が一心不乱にタマネギを刻んでいた。
「あんた何やってんの」
「桜花姉ちゃんが出てこないんだろ? 夕食くらい作ろうと思って。今日はハンバーグだよ」
「ありが……」
礼の言葉を続けようとして、ぎょっとした。優駿は目にいっぱい涙をためながらタマネギを刻んでいたのだ。
皐月は眉間に人差し指を当てた。
これは、多分、あれだ。タマネギを刻んでいたから涙が出てきたのではなく、泣きたくなったからタマネギを刻んでいるのだ。
桜花のスカートと根本は同じかもしれない。気を落ち着けるために何か手を動かしていないと気が済まない。
秋華の爆弾発言で気を揉んでいる人間は、ここにもいたことをすっかり忘れていた。
「タマネギ、目にしみるでしょ」
わざとそう振った。
「うん。今日のはやたら強烈でさ」
いきなり誰か一人がきょうだいではないと聞かされたら、思春期の子供達としてはやはり大事件なのだ。
刻まれたタマネギの山は、油をひいたフライパンの中へ投入される。
もわっと煙が立ち上った。
「あー、目が痛い。煙まで目が痛いや」
優駿は菜箸でそれをかき混ぜる。
「ゆう。もし、もしも、よ。うちの五人きょうだいのうち誰かが、父さんと母さんの子じゃないとしたら、あんた誰だと思う?」
菜箸をかき混ぜる手が一度止まる。が、すぐに元通りの動きを繰り返した。
「……自分かな。菊も同じ事いってたけど」
「同じ事って、優駿が?」
「いや、そうじゃなく……菊も、自分じゃないかな、って。つまり菊花は菊花がそうじゃないか、って思ってるらしい」
皐月はため息をついた。
疑心暗鬼。ヘタに隠し事をするからこうなる。
「姉ちゃんは知ってるの?」
「あんた、なんで自分だと思った?」
「え。だって……うち、男の子は自分だけだし……」
皐月は、人差し指を振ってそれを否定してみせた。
「ね、姉ちゃん?」
「優駿。明日、秋華と菊花を迎えにおばあちゃんの家に行くから、支度しなさい。今日のハンバーグ焦がしたら罰ゲーム」
「誠心誠意、作らせていただきます!!」
さあ、今晩はおいしいハンバーグ。明日には新しいスカートが縫い上がっていることだろう。