『♪うーさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月さま見て跳ねる』
季節はずれの鼻歌を歌いながら桜花が上機嫌で帰宅した。
手には大きなショッピングバッグを持って。
たまたまそれを聞きつけた相馬家唯一の男は「桜花姉ちゃんが壊れた」と口を滑らせたが、幸いなことにその台詞は本人には聞こえていなかったようである。
「きくちゃん、きくちゃーん」
桜花は機嫌良く、妹・菊花を呼んだ。いそいそと彼女の部屋のふすまを開ける。菊花は自室で詰め碁をやっている最中だった。
「あんた、また若々しくない趣味を……」
「何か用?」
趣味のことを非難される筋合いはないとばかりに、菊花の微笑みは少し冷たい。
いわれて桜花は先ほど買ってきたショッピングバッグの中身を開けた。
「お願いよ、きくちゃん。これ、ちょっと着せてみてよ」
中身は浴衣だった。
「あら可愛い」
「でしょー♪ あんまり可愛いから買っちゃった♪」
黒地に白いうさぎが跳ねている柄だ。銀で三日月らしいデザインも入っている。そこに細かく散っている桜模様が入っていて、帯もそれに合わせて濃淡ピンクの桜模様にした。
菊花が頷く。
「月に兎は秋の模様だけど、そこに春の柄である桜が散ってるから通年で使える模様になってるのね。これなら夏の装いとしても着られるわね、姉さん」
「そう? よくわかんないけど可愛いじゃない?」
「そう、春と秋の模様が一緒にあるのは通年仕様なの。和服は特に季節感が大事なんですからね。最近は和風小物も季節感がなくて、そういう風習は私の好みじゃないのよ。桜模様は、桜の季節が過ぎて着るのは野暮ってものなの。日本で正月にクリスマスツリーを飾ってるのと同じ感覚なの」
伝統を重んじたり古典的なものを好む菊花は、桜花が感覚的に「可愛い」と思う桜模様も夏のコスチュームである浴衣に使うのは苦手らしい。
桜花は逆に、その人に似合えば堅苦しいルールを厳守する必要はないと考えるタイプである。洋服を縫うのを仕事にしている桜花は、自分に似合う色やデザインを知っている。大人びた古典的な模様よりも少し甘さのある現代的なデザインのほうが絶対に自分に似合う。
「でね、これ着せてほしいなぁ、って」
あいにくと桜花は自分で浴衣の着付けができない。母もできない。こういうのは相馬家の場合、若々しくない趣味の持ち主である菊花の仕事なのである。
菊花は二つ返事で頷いた。
*
「この浴衣は昼のお出かけのほうが映えるわね。夜のお出かけには白地の浴衣のほうが、色が浮いて目立つから」
声をかけながら菊花が、浴衣のおはしょりを作る。
「ああ、そうかも。黒地だと、闇夜の鴉って感じ?」
「そうそう」
腰ひもと胸ひもを結わえる。
だけど、と桜花は浴衣の柄を見下ろした。白い兎は、夜のほうが映えるかもしれない。
「モノトーンがメインだと、昼夜どっちでも似合うからいいわよね。白と黒……ウとサギで、ウサギー♪ なんちゃって♪」
冗談のつもりだったのだが、菊花からはまともに氷の視線が返ってきた。
自分でも十分寒かったと思うがこの妹からの無言のツッコミはさらに怖い。
「そんなに怒らないでよ、ちょっとくだらないこといったからって〜」
「寒かったわ」
この妹は容赦ない。
さらに菊花は手際よく帯を巻いて、結んで、形を作っていく。
「鵜と鷺といえば……黒白のことを本当に、鳥の名前を使って鵜鷺(うろ)とかいったりもするのよね。囲碁のことをこう呼んだりもするのよ。烏鷺(うろ)と書くほうが有名だけど。あと同じような意味で鴉鷺(あろ)とか」
「あ、そうなの?」
鵜もカラス(烏、鴉)も黒い鳥だ。
「白い鳥って白鷺だけ?」
「この場合はね」
桜花は想像力の翼を羽ばたかせた。白い鳥ならカモメでも鶴でもよさそうなものだが、白鷺という名前からは本当に純白の美しい鳥のイメージが浮かぶ。昔、図鑑で見たことがあるような気がする白い鳥を思い浮かべて桜花はうっとりとした。
「なんかきれい……」
「別名、雪鷺(せつろ)ともいったりするけど」
「わー、もっと綺麗♪」
桜花の脳裏には、白い景色にとけこんだ雪の中にたたずむ白鷺の姿が浮かんでいた。
闇夜に鴉、雪に鷺。見えないものの形容である。雪と見まごうばかりの白さから囲碁の白を現す言葉になったのだろうか。桜花には、静かで雪のように冷たい、闇夜に鴉よりもずっとずっと綺麗なイメージが浮かんでいた。
というところで、菊花が思い出したようにぽつりと呟いた。
「そもそも白鷺という名の鳥はいないのよ」
「そうなの!?」
夢想から現実へと引き戻される。
菊花はこっくりと頷いた。
「そうなの。ダイサギ、チュウサギ、コサギ等々白っぽい色したサギ類の総称なの。クロサギって鳥は正式名になってるのがいるんだけど、これも日本では黒色型が多くみられるってだけで白色型も存在するの」
「……クロサギって名前の白い鷺……?」
それもどうかと思う。
菊花はにこやかにいった。
「本当に、サギみたいな話でしょ♪」
菊花の下手なだじゃれに、桜花は深い深いため息をつく。
このくだらなさ、間違いなく自分たちは姉妹だ、と痛感した。