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    桜花さんvsおばさん

    • 2006.09.28 Thursday
    • 00:34
     桜花の職業はパートタイムのソーイングスタッフである。お針子さんである。
     彼女の出勤時刻はサラリーマンのそれとは違ってもう少しゆっくりしている。ちょうど朝から昼に変わるころの、ぽかぽかと暖かい日差しが車窓から入る、そんな時間。同じ時間帯の電車を使う利用客の顔ぶれは決まっているようで決まっていない。
     いつも新聞を読んでいるおじさん、上から下まできちっと決めてうたた寝している女子大生などなど。きっと相手も桜花のことを知っているだろう。たまに目の下にくまを作っている不思議な女性客として。

     桜花は今、ちょうど目の下にくまを作っている時期だった。
     納期が近いのである。
     パートとはいえ、納期は待ってくれないんである。「いついつまでに」といわれた仕事は、たとえ仕事量が少なくても膨大でも、その期日までには納めないといけないんである。はっきりいって修羅場である。
     そんなわけで桜花はいつもよりイライラしていた。
     そんなときである。

     ぱちん ぱちん

     何かが弾けたような音が続く。
     目を閉じてロングシートに座っていた桜花は漠然と耳障りだと聞いていたが、音がやむ気配はない。
     目をあけて音の出所がどこかさがすと。
     電車の中で爪を切っているおばさんが目に入った。

     あぜんとした。

     爪はそのまま通路に捨てている。
     まわりは誰も見て見ぬふりをしている。ときどき、ちらり、ちらりと「おばさん」のほうへ視線を向ける者もいたが、皆黙っていた。
     桜花もまた、無視することに決めた。一言注意するだけで刺されたりする昨今である。こんなことで怪我するのも馬鹿馬鹿しい。
    (さっさと切り終われッ!)
     腹の中で毒づいて、桜花は再び目を閉じた。
     が。
     こーいうもんは、一度気になってしまうと、とことん耳に付くものなのである。

     ぱちん ぱちん ぱちん ぱちん

     桜花のストレス度がそのたびにあがっていく。

     イライラ イライラ イライラ イライラ

     ただでさえストレスを抱えていてイライラしやすくなっている桜花である。目を開けて、通過した駅の名を読む。目的の駅までもう少しだ。
    (とっとと終わりなさいよッ。というか、電車の中で爪切りなんて非常識なことするんじゃないわよッ)
     その感情は、はたして正義感といっていいのだろうか。
     長女として下に四人もきょうだいがいれば、自然と「○○しちゃ駄目!」という台詞も多くいってきた。だから、人よりも余計に道徳観念にうるさくなっているのかもしれない。
     だんだんと音が気になるというより「おばさん」の非常識な態度にイライラするという方向にシフトしていった。

     イライラ イライラ イライラ イライラ

    (注意する! 絶対、する! 我慢できない!)
     心の中で何度も自分にそう言い聞かせる。
     だけども、注意したことで逆ギレされたらどうしようだとか、注目を集めるのは恥ずかしいだとか、決意を鈍らせるような思考回路も同時に自分の中からあふれ出してくる。
     いつのまにか心臓が早鐘を打っていた。

     降りる駅まであと一駅というときになって、腹を決めた桜花は立ち上がった。
    「ちょっと、おばさん!」
     おばさんの前に仁王立ちになる。
     当の本人は、目を丸くして桜花を見上げた。
    (私は、あんたの行動に目が丸くなったわよッ)
     おばさんの態度に、口に出すより先に心の中で反論してから、桜花は口を開く。
    「電車の中で爪切りなんかするもんじゃないでしょう、やめてください!」
     堂々とした態度で桜花は言い切った。
     内心は震えまくりである。
     おばさんは、それこそあぜんとして……まさかそんなことをいわれるとは思っていなかったという表情で。
     そこまで読みとってから桜花は自分が座っていた場所に戻った。
     行動に移る前よりも、移った後のほうが心臓がうるさかった。手に震えも走っている。
     爪を切る音は、やんでいた。

     アナウンスが、降車駅の名を告げた。「おばさん」の目は怖かったけれど、そちらを向かず桜花は逃げるようにして降りていった。

       *

     なんとなくいいことをしたような、そんな一日の始まりだった。

       *

     で。
     桜花の仕事は、仕事量に変動して夜が遅くなる。昨日も残業、今日も残業、明日もきっと残業だろう。
     行きの電車と違って、帰りはサラリーマンの帰宅時間よりさらに遅い満員電車。
     今日も座れないだろう、と桜花はくたくたになりながら電車に乗った。立っている人も多いけれど、それでもどこか空いていないかとロングシートを目で追いかける。
     そうして、桜花は見つけてしまった。
     今朝の「おばさん」の顔を。

    (ひ〜〜〜っ!?)

     行きの威勢はどこへやら。
     まさか行きも帰りも同じ電車になるとは思わなかった。もしかしたら、これからも通勤電車で顔なじみになるかもしれない。そんな人とこれからずっと顔をあわせていかなければいけない(かもしれない)んである。

     余計なことしなきゃよかった、と桜花は心で泣いたが後悔先に立たず。
    (せめて相手に見つかりませんように〜)
     桜花は昇降口の近くで小さくなって立っていた。もちろん「おばさん」に背を向けて。

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