帰宅してすぐ、姉が声をかけてきた。
「さっちゃん、お手紙来てた。机の上に置いてるから」
「あ、どーもです」
皐月は自室に戻り、机の上をみる。
なかなか見かけない往復はがきだ。それを手にし、差出人を確認し、皐月は嬉しそうな声をあげた。
「おやぁ?」
結婚式の招待状だ。
それを片手に二十歳を超えた娘は階段を駆け下りる。
「かーさん、かーさん! 服代ちょうだい。ちょっとフォーマルなやつ買うから!」
知り合いの結婚式とは、成人式に次ぐ同窓会みたいなものだ。普段できないおしゃれをして懐かしい顔ぶれに会える。
居間でくつろいでいた母は渋い顔を作った。
「ドレスなら桜花に作ってもらいなさい。靴とかバッグとか、他でお金かかるんだから」
姉・桜花はソーイングスタッフである。
「ひどっ。お母様、娘からショッピングの楽しみを奪うつもりですかっ」
「オーダーメイドの優越感を与えてあげてるでしょ。桜花から材料費を算出してもらって」
と、にべもなかった。
*
結婚式の参列者は、白を着ていってはいけません。
白くみえるオフホワイト、アイボリー、シャンパンカラー、クリーム色も要注意。白いドレスは花嫁さんだけの色です。
花嫁さんより派手にしていってはいけません。でもカジュアルすぎても駄目。
特に海外でキリスト教に準じたお式なら黒のドレスもやめておきましょう。あちらでは黒は喪の色です。日本では留袖の印象からか、光沢のある黒のドレスは人気があります。
また、神聖な教会で肌を露出するのは好ましくありません。肩をださないで。
ワニ皮、ヘビ皮のバッグも駄目。殺生を連想させるから。
そういう意味では毛皮もタブー。鳥の羽は、抜けたのを利用できるからか△だといいます。
靴にも注意。一番ふさわしいのは布の靴。つま先やかかとの出たサンダルやミュールは、くだけた印象があるので改まった席では好ましくありません。ブーツも駄目です。
和装のドレスコードにも気を付けて。普段着にあたる小紋や紬(つむぎ)などは結婚式の参列にふさわしくありません。
……と、そこまで読んで、皐月は冠婚葬祭のマナーブックを閉じる。
「何これ、こんな細かいの!?」
その後ろでは桜花がフローリングの床にハトロン紙を広げていた。
「最近はマナーも何もあったもんじゃないけどね、最低限のことは覚えていってよ」
そういいながら姉は、何センチ、とつぶやきつつ定規を当てて線を引いていった。ロングドレスの型紙を作れるように姉の部屋はかなり大きい。なんの変哲もないハトロン紙がどんどん型紙になっていく。
「おねいちゃんは、とある披露宴で恐ろしいものを見ました。白ワンピで出席した新郎の弟の嫁さん。しかも足下はミュール。あれはもう、新婦への嫌がらせかと思ったわよ」
「うわぁ……」
その後も姉の口からは不平不満がこぼれる。服を縫うのが仕事の彼女は、ついドレスコードにはうるさくなってしまうらしい。先ほど服のデザインを決めるときも姉のアドバイスを参考にさせてもらった。桜花がいうには、膝丈のシンプルな黒ワンピースを持っていると色んな場面で役に立つらしい。
「リトルブラックドレスっていうのよ。本当はもっと明るい色のドレスのほうがお式には似合うんだけど、初めてのフォーマルなんだからシンプルなものがいいでしょ」
実は皐月の顔立ちだとパステルカラーが似合わない。黒は好きなので反対意見もなく頷いた。
桜花は工作用ばさみで滑らせるように紙を切っていく。
その手つきを皐月はじっくりと見、感心してつぶやいた。
「姉さん、そういうはさみも持ってたのね」
「なぁに、それ? そりゃそうよ。型紙を裁ちばさみでなんか切れないもの。切れ味悪くなっちゃう。たしかにこういう仕事してると使用頻度は裁ちばさみと糸切りばさみのほうが多いけどね」
丁寧に、迅速に。
ふむ、とつぶやいて皐月はひとまず自室に戻った。
「ふむ」
繰り返す。
己の長い髪を一束つかんだ。
癖のないまっすぐな黒髪は家族の中で皐月だけ。それを腰までのばしている。
その艶やかな髪をしげしげと見つめ、皐月はにやりと笑った。
*
数ヶ月後。結婚式当日。
桜花の作った黒ワンピースを身につけた皐月は、茶髪のショートカットにしていた。
「どう、似合う?」
「さっちゃん!?」
桜花はあごがはずれんばかりに驚いてくれる。してやったりと皐月は胸を張った。
「き、ききき、切っちゃったの!?」
ここまで驚いてくれると美容院にいった甲斐があるというものだ。
今回の結婚式、実は新郎側の招待客として出席する。
昔ふった男から披露宴の招待状がくるとはなんとも皮肉で滑稽な話だ。
皐月はそれすら遊んでしまおうと考えた。彼に短くなった髪を見せるのも楽しいだろう。リトルブラックドレスに、茶色の髪は明るくてよく似合うと思う。
あわあわと慌てふためく姉・桜花とは対照的に、妹・菊花は可愛くなかった。
「あら、皐月姉さん。きれいなカツラね。よく似合うわ」
と両手をあわせて賛辞してくる。
皐月は苦笑いを浮かべ、妹をねめつけた。
「だーからあんたは面白くないんだ〜〜〜」
「お褒めの言葉、ありがとう」
皐月と菊花のやりとりをきいて、ようやく桜花が口を閉じた。
「……カツラ?」
「実はそうなの」
茶髪のショートカットをはずしてみせる。きっちりと束ねられた長い黒髪は健在だった。
「高かったのよ、このカツラ。近くでみるとよく分かるけど、遠くからなら気づかれないでしょ?」
にっこり笑った。
失恋したら髪を切るのが世の常識なら、皐月はそれにあえて逆らってみたいと思う。天の邪鬼なのだ。
「てなわけで行ってきまーす」
今日は壇上の彼がどんな顔をするのか、しれっとした態度でみていようと思う。
*
「皐月姉さん、もしかしたら一生独身かしら♪」
「うーん。うちのきょうだい、全員異性と縁がないからねぇ……」