古いビデオテープの中に、古いニュース番組が紛れ込んでいた。
覚えのあるコマーシャルがときどき挿入される。画像はときどき水平線が走った。古すぎるビデオテープを処分しようとして、内容を確認するためだけに再生したのに結局見入ってしまっている。
桜花にはそういう癖があった。おかげでいつまでたっても片づかない。
「姉さん、何、見てんの?」
妹・皐月が声をかけてくる。
そちらには視線を移さず、桜花は古いニュースから目を離さなかった。真面目に見ているというよりは眺めているに近い。
皐月の足音が近づく。
「何? うっわ、古い映像。これ、いつ頃よ?」
映像の不鮮明さだけではなく、女性アナウンサーの服装や化粧で時代の古さが分かる。桜花はビデオのリモコンを手にとって、巻き戻しをかけてもう一度同じニュースにした。
「古いんだから、そう何度も巻き戻したりすると更に痛むよー?」
「いいのよ、捨てちゃおうかなと思ってたテープだから」
ニュースは、シャム双生児の分離手術前のインタビューを映していた。
皐月も内容に覚えがあるのだろう。桜花の隣に座ってあぐらをかいて見始める。
「この分離手術、結局失敗したんだっけ」
「うん……」
昔の映像の中で、双子たちは瞳を輝かせていた。手術の成功率が低いのも知っている、その上で別々の未来を描けることを信じているとインタビューで語っている。未来を知る者にとっては少しつらい。
シャム双生児。体の一部が重なる結合双生児。
シャム(現在のタイ)で生まれた男性の結合双生児がその名の由来。ベトナム戦争に使用された枯れ葉剤の影響で、あの地域には多くの奇形児が生まれたと聞く。
あまりにそれが有名になったので、普通でも何十万に一人の割合で生まれることはあまり知られていない。
そのままの意味で、ひとつの体を分け合って生きている双子だ。
桜花はひじをつきながら、その上に自分の顎を乗せる。
「受精卵が細胞分裂するときにまず二つに分かれて、四つに分かれ、八つに分かれ……って繰り返すよね。最初に二つに分かれたとき完全にばらばらになったのが一卵性双生児。おなかの中で、一卵性双生児がうまく分離しないでそれぞれに細胞分裂繰り返しちゃうと、一部がくっついた体で生まれるんだって」
「姉さん、ごめん。あたしゃ優駿と違って生物は苦手なんですけど」
ニュースはときどきノイズを含みながら、手術の日時を告げるアナウンサーの声で終わった。成功を祈るばかりです、との締めくくりの文句がなんとも切ない。
どんな気分だったのだろうか、体がくっついたままの生活は。
文字通りの運命共同体。常に傍らにいる半身をどう思っていたのだろう。
ぽつりと、桜花はつぶやいた。
「そういや私も双子だったんだよね」
皐月が無言で、首を動かしこちらを向いた。そういえば皐月の前でこの話をするのは初めてだ。
「バニシングツインっていうらしいの。双子が生まれるはずだったのに、妊娠初期に片方が消えちゃったって奴」
生まれてくるはずだった片割れ。消えてしまったきょうだい。男か女かもわからない。女系家族だから、もしかしたら女の子だったかもしれない。
桜吹雪の舞い散る中、その年の桜花賞の週に生まれた女の子だから命名「桜花」。もし、もうひとりも一緒に生まれていたらその子はなんと名付けられていただろう。
皐月が、やっぱりぽつりとつぶやいた。
「あんがい、命名『皐月』だったりして」
皐月の名の由来は、桜花賞の翌週にある皐月賞からだ。
自分の父親のネーミングセンスを鑑みる。
ありえそうな気がする、と考えたとき、思いがけない台詞が皐月から放たれた。
「私、その消えちゃった子の代わり、とか?」
おどろいて桜花は皐月を見る。
皐月は桜花を見て、苦笑しながら目をそらした。
大慌てで桜花は身を乗り出す。
「な……ないない、うちのお父さん、変なところで凝り性だったんだから! さっちゃんは皐月賞のある週に生まれたから『皐月』なの。桜花賞に生まれた子に『皐月』なんて名付けない!」
ついさっきまで「ありえそうだ」と思っていたことなんてきれいに忘れた。
皐月はそらした視線をまた桜花のところに戻してくれた。
にっ、と歯を見せて笑う。
「ありがとね、姉さん。ごめん、変なこといった」
まったくだ、と桜花は軽く皐月の後頭部をはたいた。
*
「でも実際さぁ? 私の前に『皐月』がいたら、私ってどんな名がついてたと思う?」
相馬家のきょうだいたちは、父親の趣味で競馬の賞にちなんだ名がつけられている。桜花は首をひねった。
「G1レースしか覚えがないけれど……皐月賞の次って、春の天皇賞よね?」
「うーん、想像しづらい名前」
人名に使えるような賞はわりと少ない。
「順番でいうなら天皇賞(春)の次はNHKマイルカップ、オークス(優駿牝馬)よね」
と桜花がいったところで、相馬家の飼い猫・オークスがトコトコと二人の目の前を横切っていった。縞模様の尻尾ふりふり、今日はご機嫌斜めらしい。
その後ろ姿を見送りながら、桜花が思っていたのと同じことを皐月が口にした。
「………………。生まれるのがあと一ヶ月遅けりゃ、ネコと同じ名前かい」
さすがにそれはないと思いたいが、もしかしたらあとで生まれた弟とあわせて「次女・優」「長男・駿」になっていたかもしれないな、と桜花は力なく笑った。