深夜近く、電話が鳴った。
最初にとったのは母。
「もしもし。……あ、はい、おります。少々お待ちください」
家人の誰に用だろう、と居間にいる四姉妹+1は耳を澄ませる。ほどなくして母が居間に現れた。
「皐月。高校の頃のお友達で、美鈴さんって方から」
長い間連絡を取っていない友人だった。
皐月は立ち上がって、階段下に置いてある電話のところまで行った。
「もしもし? 私、私。久しぶりねー。どうしたの……え、鈴香? ううん、最近全然聞いてないけど……え……?」
久しぶりの電話は、雑談ですまないような報せを連れてくる。
電話の向こうで告げられたことに皐月は絶句した。
「鈴香が……事故?」
受話器を置いたあと、皐月は居間へと駆け込んだ。
「お母様っ、交通費その他もろもろを貸してください!」
相馬家の家族用電話は、その気になれば居間から会話が聞こえるところにあるので詳しく説明せずとも母は事情を飲み込んでくれていた。
「どこまで?」
「三重!」
それから、取るものも取りあえずといった様相で皐月は家を飛び出していった。
*
友人である鈴香の趣味はバイクだった。
その日、休日を利用していつものようにツーリングに出かけた。
ちょうど黄昏時というやつだ。
走り慣れた峠道、そろそろ暗くなると思ってライトをつける。山はすぐに暗くなる。そのまま、ぐねぐねと曲がりくねる峠を走っていった。
よくあるシチュエーションだった。
ライトをつけない対向車が来たことも。
それをなんとかさばいたことも。
ただ、さばいた向こうに同じくライダーがいて、倒したバイクを起こそうとしていたことが誤算だった。
ガードレールの向こうはすぐ崖。これも、峠ではよくある話だった。
耳をつんざくブレーキの音。
摩擦熱でゴムタイヤが焼ける匂い。
ガードレールを突き破る。アスファルトを駆け抜ける鋼鉄の馬は、その重さを無視してペガサスのように空を翔んだ。
*
三重県の、とある病院。
病室に響いていたのはさめざめと泣く声ではなく、明るい笑い声だった。
「にゃはははっ。いやー、あの事故でよく生きてたよね、私っ!」
皐月の高校時代の友人・鈴香は白いベッドの上で盛大に笑う。
見舞いにとんできた皐月は、白い目でベッドの上の友人を見ていた。
「笑い事じゃないわよ。こっちは心臓が飛び上がるかと思ったわ!」
「ごめん」
ガードレール激突の瞬間、はねとばされて運良くロードのほうに転がったらしい。肋骨にひびが入ったのと、全身の打ち身、擦過傷だけで済んだという。彼女の頬には大きなバンドエイド。ヘルメットが飛んだときにこすったという。咄嗟に頭をかばったので、レントゲンでもCTスキャンでも異状はなかったらしい。枕元には、その吹っ飛んだというヘルメットの残骸が置いてあった。
皐月より先に飛んできていた美鈴があきれたように鈴香を指さして、声をあげた。
「聞いてよ、皐月。鈴香ってばね、こんな目に遭ってもまだバイク続けるっていうのよ? 私は生きた心地がしなかったっていうのに!」
その鈴香といえば、美鈴の台詞に苦笑している。
「でもさぁ、一度スピードに取り憑かれたらもう止められないんだよ?」
皐月も美鈴もバイクに乗らないのでよく分からないだろうが、それを捨てるのは簡単ではないと鈴香は力説した。もちろん事故の可能性のこともちゃんと考えているという。今回がいかに運が良かっただけかということも。鈴香お気に入りのフルヘルメットはひどく傷ついて、目を覆う部分は割れていた。事故の大きさを物語っている。
それでも、彼女の輝く瞳を見ていたら、これ以上の説得は難しいと思わされた。
皐月は思わずため息をつく。
「美鈴も苦労するわね」
「そうよっ。女の子なのに、顔を、顔を……!」
鈴香の頬には大きなバンドエイド。
美鈴は泣きそうになっていた。皐月は目を丸くする。
「……跡が残るの?」
「多分ね」
それでも鈴香は笑っていた。
「平気だよ、こんなの。だって、命があるんだよ? 私、生きてるもの」
まぶしく笑う。頬の傷に触れながら。
皐月は、どうしてそこまでして、と思ったが彼女の笑顔を見ていると好きにさせてもいいような気がした。ただ身内ならば力一杯反対しただろうと思ったが。
美鈴は何もいえないといった顔で、それでも恨みがましく鈴香を見つめていた。
鈴香は、ひまわりのような顔で美鈴の不安を笑い飛ばす。この場にいる人間のなかで一番快活な笑顔だった。
「ちょうどいいじゃない。顔に傷があるほうが鈴香、傷がないほうが美鈴。今までなかなか区別できる大きな目印ってなかったもんね!」
美鈴と鈴香は一卵性の双子だ。
よくよく二人と付き合えば服の趣味や性格で違いが見えるが、髪の長さを同じにしていると本当に二人はよく似ていた。
「それにね、私のバイク好きはもう生まれつきだよ。私の名前、なんだと思ってるの?」
鈴香はにんまりと笑みを浮かべた。
三重県には鈴鹿峠がある。鈴鹿サーキットもある。
今頃、彼女の親御さんは「こんな名前つけるんじゃなかった」と嘆いているに違いない。皐月は目の前の双子を見つつ、かけがえのない友人を失わずにすんだことに心から感謝した。