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    菊花さんvsコックローチ

    • 2004.08.05 Thursday
    • 14:57
     熱帯夜である。
     寝苦しくて菊花は目を覚ました。相馬家は、きょうだいが多いので部屋数はあるもののエアコンが入っている部屋は少ない。去年、長女・桜花が自分の給料で買ったほかは居間と母の部屋にあるくらいなものだ。菊花の部屋には扇風機さえない。おかげで相馬家四姉妹+1は夏場、居間に集まることが多い。
     水を一杯汲むために、起きあがって台所へと向かった。

     深夜の台所には、なぜか明々と灯りがついている。
    「……?」
     普段は開けっ放しにしてある台所への扉が閉まっている。誰かいるのかと、そっと扉を開けたときに中から悲鳴のような声があがった。
    「菊花ちゃん、早くドア閉めて!」
     声にせかされて、菊花は急いで台所に入り、扉を閉めた。
     そこには、なんともいえない顔してハエ叩きを握りしめた兄と、その向こうには脅えてテーブルの影に固まっている姉二人に妹がいた。きょうだい全員集合である。おまけに妹の腕の中には、なぜか妙に興奮した様子の飼い猫までいる。
    「みんな、どうしたの?」
     眼鏡がないのでぼんやりとしか見えない菊花に、兄・優駿は黙って部屋の隅を指さした。
     そこには、妙にてかてかした3センチばかりの黒い楕円がある。おそらく顔を近づければ、ひょいひょいと左右で違う動きをする2本の触角も見えるはずだ。
    「なんだ……たかがゴキブリじゃないの」
     見えなくてもそれくらいは分かる。
     菊花の何気ない一言に、姉妹たちが大声で反論した。
    「『たかが』じゃないわよッ、名前だすのもおぞましい!」
    「さっきからカサカサやってるから猫が大興奮しちゃってるし!」
    「寝てる間にごそごそされてると思うとぞっとするのよ! 優駿、早くそれ退治して!」
     そして妹が羽交い締めしている飼い猫・オークスは、どうみても狩人の目をして獲物を見つめ暴れている。
     そんなシスターズを見やる兄の目はどうみても呆れていた。
    「大山鳴動ねずみ一匹……ならぬゴキブリ一匹? 同情するわ、兄さん」
    「こういうとき、僕の気持ちを分かってくれるのはお前だけだよ」
     兄と妹はしみじみと頷きあった。

     さて、いくら『敵』の動きが早いといっても、こっちがじっとしていると向こうもそうそう動くことはない。菊花は水を汲みに来たのだ。ごく普通に水屋からグラスをだして、ごく普通に台所を横切って、蛇口から水を汲む。生ぬるい水を喉に流し込んだ。
    「……よく涼しい顔していられるわね、きくちゃん」
     姉がテーブルの影に隠れながら感心したような声をあげた。そういわれても、姉妹たちほど大騒ぎする気が起きないだけなのだ。たしかに気持ちいいものでもないが、毒ももっていない、ただ見た目がよくなくて素早く動くだけの虫を過剰なまでに恐れる必要はない。
     子供の頃は、よく兄にくっついて昆虫を追いかけまわしていた。命のはかなさを最初に教えてくれたのは虫だったかもしれない。柔らかい殻に覆われた小さな生き物は、少し力を加えすぎると簡単に死んでしまった。

     飲み終わったグラスを洗うために、流しで水をだした。
     その水音に刺激されたか『敵』はまた動き回り始めた。姉妹たちの阿鼻叫喚が深夜の台所に響き渡る。猫は今にも飛びかからんばかりの勢いだ。
    「ゆうくん!」
    「優駿!」
    「馬鹿兄貴!」
     三人が三人とも、それぞれの呼び方で兄を呼ぶ。しかしハエ叩きはむなしく空を切った。
     菊花はマイペースを貫き、グラスを洗い終わる。
    「それじゃ、私は一時退散するわね」
     どう考えても『敵』は、ちっとも静かにしていない姉妹たちの大声に刺激されて動き回っているように見えるのだが、おそらくそれをいっても彼女たちは納得しないだろう。
    「薄情者!」
     シスターズの声は見事に重なった。
    「菊、お前、兄ちゃんを見捨てて行く気か!?」
     兄までもが菊花の背中に泣き言を投げかけてくる。菊花は軽く肩を落とし、そして素早く台所の扉を開けて閉めた。

     菊花は、あとをすべてまかせて敵前逃亡したわけではない。
     何事にも準備というものが必要なのだ。
     菊花が部屋に戻ってきて、真っ先にしたのが眼鏡をかけること。それから髪ゴムで長い髪を束ねる。これだけでかなり動きやすくなる。
     それから古新聞を探してきて、軽く丸めた。
     右手に握ったそれを左手で受けて固さを確認する。
    「ふむ。こんなものでしょう」
     それからまた菊花は台所に戻った。

     やっぱり阿鼻叫喚の地獄絵図は続いていた。『敵』は天井といわず壁といわず、油まみれの換気扇といわず這い回っている。
    「この状況になっても殺虫剤を使わなかったのね。食べ物を扱うところで薬を使うのは、まぁ、いくら人体に影響がないとはいえあまり褒められたものじゃないから私は歓迎するけども」
     菊花は肩を落とした。
     あいかわらず三人一緒に固まってわいわいいっている姉たちがそれを聞きつける。
    「殺虫剤は見あたらなかったのよ〜!」
    「そうよ。泡で固めるタイプとか探したけど、なかったのよッ」
     それはなによりだ。
     眼鏡装着により、よりクリアになった視界で菊花ははっきりと『敵』を認識する。優駿のハエ叩きがもう少しで『敵』と接触するところだった。触角くらいはかすったかもしれない。『敵』もまた興奮状態。黒い物体は空を飛んだ。
    「ギャーーーッ!!」
     姉妹三人の悲鳴が木霊した。
     もちろん優駿と菊花は『敵』を追うよりもまず耳を塞いだ。
     その『敵』はというと、向かい側の壁にべたりと貼り付いた。
    「姉さんたち、お願いだから静かにしてて。秋華ちゃん、オークスをしっかりおさえててね。兄さん、どいて」
     静かな迫力で菊花は家人を退けた。こういうときの菊花に逆らってはいけない。
     例の『敵』は動かない。飛んで逃げて、一休みしているのだろう。そうでないと困る。菊花はスリッパを脱いで足音を減らす。そろりそろりと近づいた。『敵』はまだ動かない。菊花は、さきほど丸めた古新聞を構える。
     きょうだいたちは全員、息を呑んだ。

     スパーン

     小気味いい音が鳴り響いて、黒い物体はぽとりと落ちた。
    「兄さん、早くトイレットペーパーまるめて持ってきて。ティッシュは駄目よ」
    「は、はいっ」
     どたばたと兄はトイレに駆け込んだ。姉たちはほっとして、隠れていたテーブルの影から出てくる。
    「お、終わった?」
     ちらっとそちらに目をやる。
    「まだ生きてるわよ?」
     その言葉に、姉たちはまた素早くテーブルの影に隠れた。
     兄が舞い戻ってくる。渡されたトイレットペーパーでそっと『敵』をつまみ上げ、黒い姿が見えなくなるよう丸めた。
    「はい、兄さん。あとはお願いね」
     物体を包み込んだトイレットペーパーは優駿の手へ。
    「……へ?」
    「だから。まだ生きてるのよ、これ。死なせるほど強く叩いたら中身がとびちってしまうでしょう。掃除が大変よ? かといってすぐ逃げられたんじゃ元も子もないから、気絶させるくらいの力がポイントなのよね」
     昆虫の外殻は衝撃に対してかなり強い。
     もちろん、こんな包み込んだ状態で圧力をかけてもなかなか死なない。
    「爪を立てるくらいやらないとね。いくら外殻がしっかりしているといっても、お腹のあたりは柔らかいから大丈夫」
     これもまた子供の頃からの経験則。同じ命のはかなさでも、人間は害虫に対して無慈悲である。
    「き、菊……?」
    「ごめんなさいね、兄さん。私だって自分の手は汚したくないの。汚れ役くらいは買って出てちょうだい?」
     兄は何もいわなかったが、顔には「鬼」と書いてあった。
     その兄に、姉妹たちが追い打ちをかける。
    「それ、ゴミ箱に捨てないで!」
    「トイレに流してよ!」
    「でないと安心して眠れないじゃない!」
     猫のオークスも獲物を横取りされた不満からか、ぎゃおぎゃおと不細工な鳴き声をあげた。
     優駿はがっくりと肩を落とし、無言でトイレに消えた。
     さて、菊花は武器となった古新聞をゴミ箱に捨て、洗面台に行き、薬用石けんで丁寧に手を洗った。トイレからは水を流す音。
    「さ、それじゃ桜花姉さん、皐月姉さん、秋華ちゃん。おやすみなさい」
     そして台所の灯りは消された。
     今夜は熱帯夜。
     心地よい安眠とはほど遠いかもしれないが、心配事がひとつ減ったのはよいことだ。ほかのきょうだいはともかく菊花は目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。

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